こんにちはKJです!
最近「ミュータントメッセージ」という本を読んで「何も努力しなくても年を取る。
年を取ることは特別な事じゃない」ということを書いている箇所があり、心にくる
ものがありました。
「年齢や経験の長さで人や物事を判断するのはどうなのか?」ということについて考
えさせられますね。
人間何もしなくても年は取る
「ミュータントメッセージ」という小説で年を取ることは特別じゃないという旨の内容
が書いてありました。
この本の簡単なあらすじを簡単にご紹介すると、ある学者がオーストラリアのアボリジニという遊牧民と一緒にとあるきっかけで旅をすることになり、アボリジニという現代人の価値観とは全く違う集団に交じり過ごす中で、様々な事を学びとっていく経緯が描かれた内容となっております。
とあるシーンで主人公である学者が、自分が生まれた日に周りから祝ってもらう習慣があるとアボリジニに伝えた際に、アボリジニからこのように言われます。
「年を取る事は特別じゃない。何も努力しなくても年を取るのになぜ祝うのか。過去より賢くて良い人間になったら祝い事をすべきではないのか。」と。
今までの僕らの習慣なんかから考えると斬新な考え方ではありますが、的を射ていますね。
年齢や歳月で物事を判断すべきじゃない
人間誰でも年を取りますよね。スポーツ選手だろうが、芸能人だろうが、犯罪者だろうが、ニートだろうが。
これは不変の真理なわけです。
何も努力していない人間でも年を取ります。
こうなると年齢や積み重ねた歳月にこだわるなんておかしいことだと思いませんか?
「あの人は年を取っているから大人で賢い人間のはずだ。」「あの人は経験が長いから秀でているはずだ。」って考えはよくよく考えたら当てにならないんですよね。
年を重ねてても幼稚な人はいますし、何かの経験が長いからといって若い人より秀でている根拠なんて無いんです。
こだわるべきなのは重ねた年月の長さではなく、過去からどれだけ変わったか。成長したか。ということではないでしょうか。
積み重ねた年月を優遇する「年功序列制度」なわけですが、これは世の中にはびこっていますね。
年齢を重ねているから、経験が長いからという理由でひたむきで努力家で才能ある若者より優遇される場面なんてのは良くある話だと思います。
しかし、「重ねた年月」を人、物事を判断する基準とするのはどうなんでしょうか。
だって誰だって勝手に年齢を重ねるし、何もせずに組織に居座っているだけで勝手に年数が積み重なっていくわけですから。そのおかげで腐敗していく組織もありますしね。
大事なのは過去からどれだけ成長しているか、ってところです。
どれだけ努力して何かにどれだけ貢献できるようになったかです。
まとめ
生まれた日付を記念する「誕生日」ってのもよくよく考えたら祝う事なのかって考えてしまいます。
子供のころは確かに僕も早く大人になりたいって気持ちもあり年齢を重ねると嬉しい気持ちもあったかもしれません。
けど今考えると年齢を重ねる事に喜びを感じないですし、むしろ老いていくことに若干の恐怖も感じてしまいます。
だったら年齢なんかにこだわるよりどれだけ自分が変わったのか、成長できたのか、というところに重きを置き自分を祝いたいですね。